ドラマや映画を観終わると、「面白かった/まあまあ/つまらなかった」
あたりの感想をまず持つ。次にその感想をもたらした要因についても考える。
あたりの感想をまず持つ。次にその感想をもたらした要因についても考える。
リアリティとその必要性(例えば歴史ものでもファンタジー要素が強い場合は
史実や時代考証については重要視しない)や、
ご都合主義や主人公補正が行き過ぎてはいなかったかなど。
僕としてはむしろ意見や解釈の相違こそが楽しみなのだが。
まあ頭でっかちにならずに、よきにせよ悪きにせよ物語の余韻に浸った方が
ハッピーだろうと言われたらそんな気もするのだけど、
美味しい料理に当たったら、仮に鶏の唐揚げだとして、
他の店と何が違うのか、気にもなるというものだろう。
美味しい料理に当たったら、仮に鶏の唐揚げだとして、
他の店と何が違うのか、気にもなるというものだろう。
とはいえそれも解ったからどうだという事もない(少なくとも僕は家で
レシピを再現する事にそれほど熱心な人間ではない)ので、
どうしていちい
というのは嘘で、
僕はその方が感動や楽しみ(JOY)を持続させられるからである。
料理なら、例えば「隠し味に○○を使っている」、と言われたら
「では○○を使えば誰でもこの味になるのか。いや、そうではあるまい」
「衣の付け方、素材、温度、詰まる所 職人の腕、そして何よりこの店、
この空間こそが核なのだ」 「その上でこの○○が憎い、憎いねぇ大将」、、
とかなんとか勝手に脳内会話をして感動を増幅し、引き伸ばすのである。
「
「衣の付け方、素材、温度、詰まる所 職人の腕、そして何よりこの店、
この空間こそが核なのだ」 「
とかなんとか勝手に脳内会話をして感動を増幅し、
なんの話をしているかというと、レビューブログにハズレが多すぎる(特にドラマ)、
という話なのだが、前置きが長くなりすぎたのでそれについてはまた。
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