2020年1月31日金曜日

1月31日 : 新幹線車内飯問題

また3日空いてしまった。

そもそも書いてる事が全く日記でない(爆)

日記というのはもっと雑然としたものでよいのだ。

何を食べただとか、どこへ行っただとか。

と言いながら今日も特定のトピックについて書く。

駅弁並びにその諸般は高い割にどうにも美味くない。

車中飯の制約(匂いとその原因となる温度、スパイス/ハーブ類の排除)や、

ホームでの生鮮類の扱いの難しさを勘定に入れても、

もう少しマシなものは売れると思うのである。

冷たい唐揚げと大量の米と申し訳程度の漬物(野菜?)の弁当はカロリー以外に

資するところがないように思う。カツサンドやシウマイ弁当も同様である。

例えばコンビニに売っている「焼きビーフン」は消化によく、

野菜と香辛料も入っており、安価で量も多すぎないので匂いの問題がなければ

移動中のつなぎ飯としては満点に近い。ガパオご飯なんかも同様ですね。

キムチや納豆も大変優れた食品で、冷めていても美味しいが、

冷めていても匂いが強いので難しい。

温度と香辛料が敵だとすると、頼みの綱は野菜ですね。

だがしかし、あのいわゆるサンドイッチ類はどうにも不味い。

漂白や防腐処理がきっとされすぎているのだろう。野菜の味なんてしないのである。

温度と香辛料に加えて生鮮類も無理だとすると、残るは火の通った野菜か。

ピロシキなんていいんじゃないかなあ。

あとは味の南蛮漬け(とおにぎり)とか。


爆発事故みたいな雲に囲われた富士山in東海道新幹線

2020年1月27日月曜日

1月28日:エスカレーター二列問題

新幹線の話のついでに昨今話題のエスカレーター二列問題に触れよう。

エスカレーターは歩かず二列で乗るのが最も効率がよい、という理論であるが、

効率について特に反論する点はないように思う。

しかしながら、人は急ぐ事がある。

それを自業自得だとか余裕を持って行動しましょうだとか、

そういうたわごとを真に受ける人間が2020年の東京においては

サンタクロースを信じる子供の人数よりは少なくなっている事を願うばかりだが、

とにかく長時間の電車の遅延は今や全く珍しくないし、

小さな子供がいる家庭では毎日の保育園への送り迎えに加え、急な発熱も日常茶飯事だ。

出勤前に痴呆症の親のトイレトラブルに見舞われる家庭だっても少なくないだろう。

あるいはその全てが一遍に起こる事も有りえる。

小岩で成田エクスプレスへの飛び込みに遭遇して復旧の目処が立たない中

大きな荷物とともに迂回路とその所用時間をダッシュで検索し、

成田空港の嫌がらせとしか思えないLCCターミナルを歩く羽目になる事も大いに有りうる。

そういったおよそ個人の努力と能力の限界を超えた存在が世界なのであり、

それを自己責任だとかどうこうのたまう奴は。。

これくらいにしておこう。

とにかく人は急ぐ事があり、エスカレーターの片側が空いているというのは

階段の最大3倍程のスピードで移動できる事を意味する。

車線でもプールでも追い越しレーンというものは確かに存在し、機能しているわけで、

これを単純な最大効率で歩かず並んで乗りましょう、というのは机上の空論というものであろう。

そもそも例え二列乗りを徹底したとしても、重い鞄で一段費やす人もいるだろうし

(それをモラルがどうとか言う奴は(以下同文))、エスカレーターにうまく乗り移れない人も

割と目にする。大男やミニスカJKのすぐ後ろに乗るのなんだか気後れするものであるし、

と、かように二列乗りにしたからといって最大効率が実現される見込みは薄いのである。

というわけで、エスカレーターは片側を優先とし、歩いて登りたくない人は並ぶ、

という現在のスタイルは最大公約数的には正解だと思っている。

ちなみに僕は軽装の際はエスカレータを歩いて登るのが基本姿勢である。

歩かずに乗るためにプチ長蛇の列に並んで30秒〜1分を犠牲にするのは最も非効率なように思う。

「全員歩かず二列で」乗るよりは、「軽装の者はなるべく歩く」事を推奨した方が

全体の効率は上がるのではないだろうか。

と言うのが僕の考えであるが、例外的にその考えが通用しない場所がある。

それは「長距離列車乗り場」である。まあ新幹線ですね。

新幹線(並びに特急列車)乗り場はスーツケースなどの大型手荷物を擁している人の率が高く、

そのため片側を空けて乗るともれなく手荷物と自分の体とで二段使う事になる。

荷物にぶつからないよう気をつけた場合には3段である。

またスーツケースを擁して優先レーン(仮称)を歩く事は困難だし迷惑になるので、

そちらを歩く人の率はここではかなり下がる事になる。

そうなると新幹線乗り場でのエスカレーター効率は在来線に比して

少なくとも3倍以上は悪化すると思われる。

おまけに手荷物を抱えて歩いたところで使う体力程の効果(スピード)は得られないので、

新幹線並びに長距離特急乗り場では二列乗りを義務付けるメリットは確実にあるように思う。

というわけで結論は

「在来線では片側を空け、歩く事は登りにおいては推奨する(下りは危険)」

「新幹線並びに特急乗り場では二列乗り(片側は手荷物でもよい)を義務とする」

と勝手にさせていただく。

ちなみに現状では実践するとかなり怪訝な顔をされます。

2020年1月25日土曜日

1月25日

また3日ほど間が空いてしまった。

現場が続くとなかなか書けない。

何故なら仕事や関わっているプロジェクトについては

書いてよいか判断しかねる事が多いので億劫になるのである。

ところで僕は新幹線や飛行機の座席はトイレに出やすい通路側派なのだが、

通路側の席でテーブルを出して弁当を食ったり映画を見たりするのは、

今度はお隣さんを出にくくさせてしまうのでこれまた気が引けてしまう。

かといって窓側で映画を見ながらビールでも飲んだらトイレが近くなるのは必至である。

移動中の時間を有意義に過ごすというのはなかなか難しいものである。

2020年1月22日水曜日

1月22日:ネスカフェバリスタが何なのか判明

今日は近所のリサイクルショップを物色していたところ、

ネスカフェゴールドブレンドバリスタTAMA のほぼ新品がかなりお安く売っていた。

自室にコーヒーマシンが欲しいと思っていたが、いわゆる手動のコーヒーメーカーは

豆のセットと廃棄が自室ではやや面倒なのと、一杯ずつカプセルをセットする

ネスプレッソなどの"コーヒーマシン"系は種類がやたらとあるイメージで、

かつランニングコストも割高なので、"作業中用カフェイン補充飲料"としての立ち位置に於いては

インスタントコーヒーがそこに君臨していたわけではあるが、

あれはあれで熱湯で淹れてもちゃんと混ぜないと溶け残りが発生するし(意外とウザい)、

それを解決するにはスプーンかマドラーが必要になったりと、まあ煩雑と言うほどではないが、

かといってワンタッチみたいなものとも言えないのである。

しかし、バリスタはコーヒーマシンの中でも影が薄い印象だった。

キャンペーンやら広告が多くてマシンがやたらと安いものはプリンターのインクと同じで

ソフトが高いと相場が決まっているのだが、バリスタは広告を目にする事が少ない。

そう思い改めて調べてみると、一応「定期購入でお安く」みたいな事もやってはいるが、

本体だけでも安すぎない妥当な値段で売られているし、ランニングコストも安い。

おまけにカートリッジ的なものも一つで数十杯分あると書いてある。

随分とうまい話ではないか。

それにしては競合の中で存在感が薄いのにはきっとそれなりに理由があるのだろう、

とは思ったものの、定価の1/3程度の価格なので失敗しても諦めがつくし、

目立たない理由もわかって好奇心も満たされるというもの。

また、初代から現行(3代目)まで基本仕様が同じという点も

旧型切り捨ての心配がなくてよろしい。

というわけで買ってみた。

スーパーで豆を買い、セットし淹れてみる。至極簡単である。

飲んでみるとさて、大して美味くない。

どうにもインスタント臭い味である。豆もどうにも「ネスカフェゴールドブレンド」に酷似している。

と思って調べるとなんと!

これは「ネスカフェゴールドブレンド」である事が判明した。

専用カートリッジなるものは、それをこのマシンのタンクにセットしやすい形状で、

破棄しやすい詰め替え仕様にしただけのものらしい。

道理で他に比して存在が薄いわけである。

これは「インスタントコーヒーを自動でやや美味しく淹れるマシン」だったのである。

味についてはネスプレッソやドルチェグストと比べるべくもない。

抹茶ラテだってもちろんできない。

しかし、である。

"作業中用カフェイン補充飲料" 即ち、「手軽に安く飲めるコーヒー」という需要は

完全に満たしている。同じインスタントでも手動でお湯に溶かすより楽だし少し美味い。

結婚相手はこういう存在であるべきなのかも知れない、などと下らない事を考えたが、

これはこれで悪くないのではないのだろうか。

そうしてみると今度は生意気に思えるがバリスタにはスチーマーがついていて、

粉ミルクをカップに入れてラテスイッチを押せば一応カフェラテになってくれる。

どうにも偽物臭いが、こういうのは大変 嫌いではない。

「身の程知らずめ!だがその心意気、愛いやつじゃ」

と、どこかの外様大名ような気持ちになる。

なんとも健気ではないか。

というわけで今日は

「ネスカフェゴールドブレンドバリスタ」が「コーヒーマシン界のおしん」

である事がわかった日でした。


2020年1月21日火曜日

1月21日:祝!徹子の部屋出演(やや誇張)

今日は言わずと知れたテレビ朝日の長寿番組「徹子の部屋」で、

昨年行われた「徹子の部屋コンサート」のダイジェストが放映された。

純烈、南こうせつ、杉山清貴&南佳孝、森山良子、サーカス、杉良太郎という

華やかな面々の中、サーカスのピアニストとして参加したわけであるが、

ありがたい事に姿も音もそこそこ流れていた。

おまけにバックミュージシャンも全員テロップで名前が出ており、

製作者の音楽への理解と愛情を感じられた次第である。ありがたや。

問題はこれを「徹子の部屋に出演した」と言えるかどうかである。

番組内で流されたVTRに映っていた事を「出演した」とは基本的には言わないと思うが、

この場合その映像というのが他でもない「徹子の部屋コンサート」である。

これはステージ下手にライブセットを、上手に"徹子の部屋"セットを組むという趣向の、

いわば「生徹子の部屋」なのである。

つまり、「徹子の部屋コンサート」=「徹子の部屋」であるならば、

そこに出演していた僕は、今日の放送以前、即ちコンサート当日に

徹子の部屋に出演していた、と言う事ができる。

だとすれば今日の放送でもやはり僕は「徹子の部屋に出演した」と言えるのではないか。

必死か(笑)。


2020年1月19日日曜日

ポータブルSSDの進化&廉価化

作曲や編曲の仕事も伸ばしたい今日この頃、ソフトウェア音源の充実化を目指している。

しかし数十ギガバイトの音源を複数 遅滞なく動かすには、HDDではやや難があるのである。

ところが気づけばポータブルSSD、外付けSSDの価格がここ数年でかなり下がってきており、

また知らなかったのだが、最新のSSDは形状がパソコンのRAMのような形状になっており、

めちゃくちゃコンパクトになっていた。

















その上 接続は今やusb-c(usb3.0の2倍の転送速度(10gbps))なので、

最早 本体内蔵と比べても遜色ないと言ってよい転送速度と言える。

この分ではMacの購入時以外変更不可のぼったくり本体SSD容量価格も改善されるかも知れない。

やはり技術革新と競争は大事なのだ。

ところで現在の僕のメインマシンであるMacbook Pro (15inch,2015)にはusb-cポートがない(爆)。

usb3.0アダプタで運用しているが、更にハブを介しているので効率はかなり悪い。

最新のMac miniに乗り換えたいところではあるが、持ち出すケースも少ないとはいえあるので、

なかなか決断がつかないところである。ちなみに現行のMacbook Proシリーズは、特に15インチはさすがに高過ぎる。

モバイル機のMacbookは1kg切りでお気に入りなのだが、

こちらもusb-cポートは一つしかないので、電源その他を合わせるとやはりハブを介すことになる。

13インチモデルがRAM32GBまで追加できる仕様になれば一本化も視野に入ってくるが、

Appleぼったくり価格で値段が跳ね上がる事や、廉価の認定整備品が出てくるのが

リリースから半年〜一年後である事を考えると、出たとしても買い時とは言えない。

まことにApple製品は買い時が難しい。














1月19日(含テレビ番組告知)

丸三日日記を放置してしまった。

仕事が佳境に入るとどうしてもこうなってしまうな。それでは意味がないのだが。。

15日、16日と2日続けて由紀さおりさんの現場。

日本随一の歌手と小編成で演奏できるのは真にありがたいことである。

ギターの馬場孝喜さん、川村竜君の二人も毎度ガーサスである。

16日はクリス松村さんが司会を務めるTOKYO MXテレビの「ミュージック・モア」の収録だった。

放映は2月8日(土)18:59-19:30、再放送が13、14日だそうです。

そして昨年サーカスで出演した「徹子の部屋コンサート」のダイジェストが

21日の徹子の部屋で放送されるようである。見切れている可能性の方が大きいが

運がよければ僕も半秒くらいは映るかも知れない。



2020年1月15日水曜日

1月15日 Marantz NA6006レビュー

同じ悩みを持った同志がたどり着けるよう、先程の項はマランツ、この項ではMarantzと表記しておいた。大して意味がないことはわかっている。

さて先にネットワークオーディオの大まかな仕組みだけ片付けておくと、

これは同じネットワーク(LAN、wifi、bluetoothなど)に繋がれているデバイスからならいずれからもアクセス可能なオーディオシステム、という事になる。

スマホやタブレットから命令を出し、情報源(音や映像)はスマホ本体の中でもパソコンの中でもどこでもよい。恐らくYouTubeの音声をキャストすることも可能なはずだ(できなかったらごめんなさい)。

キャスト(送り出す)する方法はAir Play,AirPlay2、AWAなど様々な方式に対応しているが、

メインはほんの数年前に提唱されるも急速に普及、搭載されてきている"HEOS(ヒオス)"というアプリ/システムを使うのが最も使い勝手がよい。完璧とは言えないがかなりの完成度だと言ってよいと思う。

大手メーカーもこぞって採用しており、ネットワークオーディオの標準システムになりつつあるので操作性はよりよくなっていくだろう。

ちなみに同名、同システムのスマートスピーカーもあるがそちらもかなり評判がよい。
と、システムの概要はこれくらいにして、
やっとNA6006についてである。

基本的に良い事ずくめである。

良い点
・出力が光デジタル、RCA(赤白のやつ)、音量可変RCAと二種三系統ある。特に音量可変はリモコンいらずで便利だ。 

ちなみに有線での入力は有線では光デジタルのみで、そちらはプレイステーションの音声受けに使用している。PSは本分はゲーム機だがらNetflixやYouTube他およそ全てのストリーミングサービスに対応しており、同一ネットワークのパソコン内のメディアも再生できる(DLNA機能)。コントローラーの使いやすさも合わせると最も優秀なメディアプレーヤーかも知れない。

・アンプは非搭載(良い点)
あくまでソース(情報源)の処理役、送り役として限定/特化されており、アンプはアンプで別に用意する点が、(面倒という見方もあるだろうが)長期的にはメリットである。アンプやスピーカーなど音のキャラクターに影響が強いものは買い換えたり増えたりしますからね。

・接続がシンプル
LANやwi-fi(同じかな)など、同一ネットワークを使っての再生ならばSpotifyでもAirPlayでも、NA6006(以下"本機")側のチャンネルを切り替える必要はない。

USBメモリやBluetooth接続は切り替えが必要なようだが、今更使う理由がないので問題にしない。光デジタルだけが問題だ(後述)。

有線LANはより楽であるし、オーディオマニアには鼻で笑われそうだが、LANとはいえ有線直結だし、LANケーブルで音質が変わるとも思えないので、出音が気に入らなくとも入力までの回路をその原因から一応除外できるのは悩みが減ってありがたい。どちらかといえば除外せざるを得ない、という方が正確だが。

・省エネ
全然熱くなりません。叔父の遺品の320Wのアンプの方は爆熱。

・HEOSアプリが便利
アプリメニューもわかりやすいし、再生命令を出すと自ずと本機の方もスリープ解除され、入力ソースが光などに変わっていても命令ソースに切り替えられる。大変よくできている。

続いて悪い点だが、悪い点は特にない。

なのでちょっと残念な点を挙げる。

・光デジタル入力の方は可変できない。
といってもこれはNA6006の責任では一切ない。ちなみにHEOSアプリでなくSpotifyアプリからのキャストでも音量可変には対応していた。もしかしらPS側の設定次第では光でも可変出力は可能なのだろうか。。

・光デジタルに出力してもチャンネルは切り替わってはくれない。

HEOSアプリからであれば電源オン&ソース切り替えも連動してくれるのだが、プレイステーションをつけても本機は電源も入らないし、光入力のチャンネルに切り替わってもくれない。

これはシステムアップデート如何でできなくもないような気もするが、よくわからない。光デジタルは音質含めイマイチ煮え切らない企画である。ケーブルの仕様も二つあったり。。

・RCA出力は音量可変よりも普通(FIX出力)の方が良い。

これは「気のせい」と言われたらそれまでなのだが、個人的体感(同じRCAケーブルを差し替えて聞き比べ。そのためややタイムラグあり。あまり説得力のある比較ではない)では明らかにFIXの方がお殿様張りや抜けが良い。

気のせいかも知れないとはいえ、要因を考えてみると、本来 音の増幅はアンプの役割(アナログ処理)で、デジタル信号の段階には音量という要素はないはずなのである(だから可変出力にはかなり驚いた)。

また、音は可変、FIX両方から同時に出ている。

デジタル信号には音量は存在しないという理解が正しければ、本機の中にアナログ変換処理後に更に出力をコントロールする回路があり、可変の方はそこを経由している、という事だろうか。

だとすればアンプを一つまたいでいるようなものなので、音質に違いがあっても不思議ではない。

この点は他のレビューでは見なかった事柄なので、知りたいところである。

とはいえ可変出力があまりに便利なのでSpotifyを流し聞きするくらいの時は妥協して可変で聞いている。

と、大体こんな感じである。

総評としては

・HEOSアプリからでもそれ以外のアプリからでも関係なく使いやすく、音も良い。

・アンプ機能は搭載されず、変換機・サーバーに過ぎない本機は、それ故かなり長く使えるのではと思われる。

・光デジタルはなんだか使い勝手が悪い。ただ、本機の性能とは関係ない。

・可変出力はFIXに比べやや音質が下がる気ヶするものの、あまりに便利すぎる。














2020年1月14日火曜日

マランツ NA6006を買ったzo

自宅サーバ(NASというものだ)に詰め込んである音楽(CD由来)を、

パソコンを経由せずにオーディオシステムから音を出したいと長年思っていた。

iPadからNASにアクセスし(私はケータイだけはandroid派なのだ。だが読者諸氏はiPadをiPhone、更に上級者はiOSと読み替えて読んで差し支えない。)、その中の音楽をiPadで再生する事は一応簡単にできるので、

今度はその音をair play機能を使ってApple TVに飛ばし、Apple TV(現行)はHDMIしか出力がないので音声と映像を分離するアダプタを買い(2000円くらい)、

やっとプリメインアンプに音が行くわけだが、この4地点経由(NAS→iPad→AppleTV→HDMI分離機→アンプ)方式はどうにも不毛だ。

案の定音もパッとしない。当たり前だ。

2000円の分離機=デジタル/アナログコンバータで、映像込みの情報をAppleTVという中継を挟んで処理しているのだから。しかも分離機の電源はUSB。便利だが最早ノイズの固まりと言っても過言でない。

試す前から薄々感づいてはいたが、もっと別の遥かに良い方法があるはずだ。

ついでに言えばApple TVは恐ろしく使い勝手が悪い。

同じIDでログインしているのにパソコン、iPadで認証作業を求められるし、

Netflixをair playで出力しようとしたら「本体内のアプリをご利用下さい」と出る始末だ。 

こちらはあの忌々しいリモコンを使いたくないからそうしているというのに。どうしてディスプレイをオフのまま操作を続けさせてくれないのだ。

そもそもコンセント必須のあのデカい図体で単独の音声出力を排除したのも論外だ。

「映画の音はシアターシステムで」と考える人間をわざわざ排除した上あのデカさでchrome castやFireTVstickに何故勝てると思うのか。

Apple TV+で?

冗談はよしこさん。数周回遅れで参入しておいてNetflixやAmzonと張り合うおうとしているのか。

。。。

何故 私はガジェットの設計になるとこれほど我を忘れて怒り狂ってしまうのだろう。

もう名前も忘れた二画面譜面閲覧機にしてもそうだ。開発者の事を思えばこんなに悪態をつかなくてもよさそうなものなのに。

そのうちカウンセリングに行ってみよう。

そして自分がベータの悪霊に取り憑かれているという診断でも受ければよいのだ。

とにかくそういう訳でMarantz社製のネットワークオーディオシステム、NA6006を買った。

始めにNAS(又は同一ネットワークに接続された危機。わかりにくいなぁ)とペアリングのような作業・設定をすませてしまえば複数の方法で再生命令を出せる。

長くなったので次の項で書こう。












1月14日

昨日は日記を書きそびれてしまった。

日時的には一昨日の投稿が日を回ってしまったので一昨日書きそびれた事になるわけだが。

昨年の仕事納めから少しのんびりするつもりでいたのだが、なんだか毎日忙しい。

現場の数はそれほどでもないものの、打ち合わせやらレコーディングやら新年会やらで結局毎日予定が入る上に、

ロクに行けてなかった消耗品類の補充や手入れも必要だ。

まあこの商売では暇よりはありがたい事である。

ありがたいと言えば今日は父が書き残したストリングスカルテット作品の演奏会に行ってきた。

ミューザ川崎並びに実現に奔走して下さった方々には心から感謝したい。読んで字の如く有り難い事である。

そして父の新作(クラシック)は色々な要素やフレーズが詰め込まれていて、

まだまだやりたい事が一杯あるんだ、という父の気持ちを感じたような気がして心が動かされた。

決して口にはしないような事も作品から感じられる(ような気がするだけだが)という意味では、

音楽や芸術に触れる人生というのはないよりは確かに価値があると思う今日この頃である。










2020年1月13日月曜日

ポジティブシンキングについて

今はすっかり下火になったのであまり言及しても意味がないような気もするが、

「ポジティブシンキングを心がける」のような言説が少し前に流行った。

「状況をよくするのも悪くするのも自分次第」のような言説だ。

これはサッカーのオシム監督も似たような事を言っていたが、

相手や状況を考慮しないで

「自分達のプレーをすれば結果はついてくる」

のような考え方は非常に危険だ、という事だ。

置かれた状況の中でポジティブな要素を見いだすのは効果的かつ重要だが、

状況を無視して「自分次第」のように考える事は全く違うし、愚かな事だと思う。

海釣りの装備で渓流釣りに臨むのはポジティブとは言えないし、自分次第でもない。

状況を無視してポジティブに考えてもそれはただの嘘である。

大事なのはポジティブな要素を見つける事で、それは「ポジティブな状況とは何か」という事にも繋がる。

僕は戦場に出た事はないが、「死なない」というのはかなりポジティブな要素であるように思う。

問題なのは「勝たなければ死ぬ」ような状況が存在するという事だが、

そのような不自由な二択に置かれるはネガティブな要素である。

置かれた状況を変える事はかなり難しいが、

チャンスを最大化させる事は努力も分析で拡大ないし最大化する事が可能だ。

ポジティブシンキングとはそういう事だろう。



 


2020年1月11日土曜日

1月11日

今日はビーガンについて適当に書く。

まず僕は捕鯨には反対だ。

何のことかわからないかも知れないが、菜食主義者やビーガンにはいつも捕鯨を想起させられる。

鯨をうまいと思わないし、日本の捕鯨は文化だというのもどうも嘘っぱちだ。

今時 鯨で糊塗をしのいでいるような人達などいやしないのである。

捕鯨の主張はただの利権だ。

ついでに言えばゴミの分別も無駄だが、これについては明日にでも書こう。

とにかく僕は捕鯨には反対だが、鯨の知能だとかそういう理由は支持しない。

知能が高いから殺すなと言うなら、

低脳だからインディアンは虐殺され、日本は原爆を落とされたという事になるんじゃなかろうか(まぁ実際そういう理由なのだが)。

ビーガンも同じで、牛肉1kgを生み出すのに必要なエネルギーや、生み出される二酸化炭素排出量(=環境負荷)がヤバい→食べる量を減らすべし、と、このような我々人間本位の理屈は受け入れる事ができる。

とはいえその後ろに感じざるを得ないキリスト教的な「地球の支配者として」目線はどうも好きになれないが。

そして「命を奪わない生き方」みたいな理由はナイーブというか傲慢というか、

仮に菜っ葉や豆(根が生きていればまた生えてくる)だけを食べていても、

そこに群がる害虫は殺さざるを得まいし、我々の一部たる白血球は病原菌を日夜 殺して回っているし、最期には逆に我々が冒されて死ぬのである。

なので鯨にせよ牛にせよ、倫理や罪悪感に依拠する理屈には耳を貸す気になれない。

逆に言えば、無差別テロ犯みたいな死刑にするしかないような被害をもたらした人間でも、それが家族や友人であれば、わざわざ死刑処分に賛成したりはしないだろう。 

人間本位の卑しい理屈のみが耳を傾けるに値する。














2020年1月10日金曜日

1月10日

今日はディナーショウの仕事で朝からお台場であった。

イベントが絡んでいたので19時からの本番の為に朝9時に出勤である。

半日もの空き時間ができてしまったのでヴィーナスフォート周辺をぶらぶら。

外国人観光客などがそれなりにいたものの、いかんせん造りがデカいので

コミケなどの大規模イベント以外ではどうしても閑散とした印象になってしまう。

その分 歩きやすいのだが、あの辺りはどうも散歩し甲斐がない。

道は広くてきれいで、今日は天気もよかったし、

近くでドラマの撮影なんかもやっていたのだが。不思議といえば不思議である。

きっときれい過ぎるのだろう。好奇心がくすぐられないのだ。

或いは草木のマイナスイオンが不足しているのかも知れない。

良い散歩にはマイナスイオンか探検気分(歩きにくさ)のどちらかが必要なようだ。

その点 京都というのはなんと言うか よくしたもので、

街はずれをあてもなく歩いていてもあまり退屈するという事がない。

河原町近辺は近年は観光客とバス・タクシーでろくに歩けないので困りものだが。

城下町つながりで思い出したが、金沢にもまた行きたいものである。

とりとめのない文章になってしまったが、日記なのでよいことにしよう。


2020年1月9日木曜日

1月9日

1月9日だが昨日の日記が一昨日の日記になってしまったので

今日も昨日の事をまず書く事になる。

「運び屋」を最後まで見終わる。大変良い映画だった。

イーストウッドのひねくれ老人の役造りが秀逸だったのと、

その他のキャスティングも大変好みであった。

ブラッドリー・クーパーとアンディ・ガルシアの各人のシーン(二人は交わらない)は

白黒とカラーのようなコントラストで演出、役者共に流石であった。

ローレンス・フィッシュバーン(マトリックスのモーフィアス役)も中間管理職の

「そこそこ優秀なんだろうけどだけど、冴えない」感じをバッチリ表現していて、

彼の実力の高さを改めて感じられた。彼の経歴でも洗ってみよう。

作品の長さも2時間弱と、一気に観れる長さで、とにかく全体的によかった印象だ。

余談だが今や基準となっている2時間半という映画の長さは、些か長すぎるように思う。

映画館で観る事を考えた場合、予告編や注意事項動画を含めると、

基本的に席から離れずに3時間じっとしている事になるわけで、

おまけに日本では携帯電話のマナーや声を出す事に異常に神経質なので、

(アメリカでのダメな展開や演出の際の野次や、スターウォーズでヨーダが

戦う時の「ウッヒョー!」とか声に出すのは個人的にとても推奨したいのだが)、

映画を観るのは東京から沖縄に飛ぶのと大体同じ状況になるわけで、

これはそれなりに準備や覚悟がいる娯楽になってしまう。

僕としては映画は、野暮用ついでに「ちょっと寄ってくか」くらいの感じで

観れるものであって欲しいし、もっと言えばトイレに遠慮なく立てたり、

明るさを下げてスマホをチェックしたり「つまんね」とツイートするくらいは

許容されて欲しいものである(ニューシネマパラダイスを見たまえ)。

実際 近年映画館の来館者数は落ち込んでいるらしい。

値段含めて気楽さが足りないせいだと思っている。

というわけで今日も昨日の日記から脱出できないのであった。爆。






2020年1月8日水曜日

というわけで1月8日の日記

昨晩 4時頃までNetflixで「アイリッシュマン」と「運び屋」を観てしまった関係で11時にやっと起きる。

「アイリッシュマン」はデニーロとアルパチーノの再共演が話題で二人は勿論素晴らしいのだが、

スコセッシ監督は基本的にどれも同じ話なので、スピード感がないとどうしてもダレてくる。

「アイリッシュマン」にはスピード感がない。おまけに長い。よって途中から「運び屋」に移行。

「運び屋」も観始めた時間が遅かったので結局まだ途中だが、俄然面白い。スピード感がある。

スピード感というのはアクションや拳銃ではないのだなあ。

とはいえ「緊張感」はスピード感の半分くらいを占めるので拳銃も重要ではあるのだが。

ううむ、これでは昨日の日記だな。



日記でも書いてみよう

恐ろしい程 更新をしていない。

銀行口座の自動解約よろしくブログ凍結されても文句は言えない。

仕事(演奏や制作)の事を書くのはなかなか億劫だ。

何故かと言えば書いて(載せて)良い事とそうでない事の見極めが、

特に芸能関係者相手では難しい、というか、許可を仰いだ方が良いケースが多いからだ。

よってフェイスブックには当たり障りのないオフィシャルな集合写真などが載り、

ツイッターの方は政治活動家の如きタイムラインになってしまっている。

インスタは「ドーナツうまい」みたいな写真版ツイッターのような気楽さが割と気に入っているが。

どうやら私にはやはり関西人の血が入っているようで、

「山登りして苦しいけど気持ちがいい」みたいな文を書く気にはどうしてもならない。

「犬が突然ワンと鳴いたから「きゃっ!」てなった」と個人的には区別がつかないからだ。


コンテンツ自体はコンテンツにならないのかも知れない。

何が言いたいかというと、殊更何かについて書くのではなく、

いわゆる日記でも書いてみようかという事だ。

何日坊主になるか知らないが、三日と空けず書けばよいくらいのスタンスでやってみよう。